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20140124

SF

今期のドラマはSFもので注目株が

星新一の世界を多彩キャスト&制作陣がオムニバスドラマ化、音楽は渋谷慶一郎

岩井俊二が手掛ける初の連続テレビドラマ「なぞの転校生」オンエアスタート! 原作は眉村卓によるSFジュブナイルの傑作!!     


SFという言葉を生んだのは、アメリカの雑誌「アメージング・ストーリーズ」 (1926年創刊、2005年廃刊)。だが、1870年のジュール・ヴェルヌ『海底二万里』、1895年のH・G・ウェルズ『タイム・マシン』など、それにあたる作品は、この雑誌以前にも発表されている。

アメリカでは一定の条件を満たしたプロ作家だけが加入できるアメリカSFファンタジー作家協会 (SFWA)が存在する。SFWAは会員の投票によって優れた作品を選び、ネビュラ賞を授与している。アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインは御三家とされ、古典とされる名作を残している。

日本では1963年に設立された日本SF作家クラブが存在し、多くの日本のSF作家が所属している。


SFにはそれなりに決まった定義や、論説があるだろう。それを調べ、書きだすのは他の人に任せよう。私の思うSFは「SENCE OF WONDER」 宇宙の不思議を炙り出すものがSF、である。

「宇宙」という言葉の初出は、漢の時代の『准南子』という書物である。そこには「宇」は空間であり、「宙」は時間であると説明されている。つまり、宇宙とは時間と空間を指す。アインシュタイン以降、時間と空間をひとつのものとして扱う物理学的宇宙を言う。

…本当?

宇宙はひとつではなく、幾つもあるというのが科学の学説でも出てきている。アートや文学は物理学説に先んじて、幾つもの宇宙を前提とした作品を数多く生み出している。感情だとか、社会秩序(法律や常識)の服をするりと脱いで、不思議の海に飛び込んでいけるのがSFだ。


Shinichi Hoshi 星新一 (1926年9月6日 - 1997年12月30日/日本)
SFのなかで、私がもっとも数多くの作品を読んでいるのが星新一。通俗性、前衛的な手法や、時事に絡めなくても、作品をつくることのできる稀有な作家。
Koubph Abe 安部公房 (1924年3月7日 - 1993年1月22日/日本)
SFも書いた作家。中学、高校の多感な時期に好きだった。安部は、高校時分にリルケとハイデッガーに傾倒していた模様。好きな音楽は、ゲルハルト・ヒュッシュ の冬の旅、バルトーク の管弦四重奏、バロック音楽、キース・ジャレット 、バッハ 平均律クラヴィーア曲集、ピンクフロイド の ザ・ウォール、ウェンデイ・カルロス 、スイッチド・オン・バッハ。
Ray Bradbury (1920年8月22日 - 2012年6月5日/米)
萩尾望都が漫画の原作に用いることが多く、そこで知った作家。

Ryu Mitsuse 光瀬龍 (1928年3月18日 - 1999年7月7日/日本)
『百億の昼と千億の夜』が好き。ギリシャの哲学者プラトン、シッタータ(釈迦)、イエス、弥勒…宗教のメインキャストたちが登場する壮大なストーリー。前提とする知識を持っていればいるほど、その情報量に圧倒されるのではないだろうか。

Izumi Suzuki 鈴木いづみ (1949年7月10日 - 1986年2月17日/日本)
彼女の場合、作品には一切興味が持てない。鴨居羊子みたいに、たまたま女性でグイグイ自己表現できるから衆目を集めただけで、何かをかたちづくるセンスはない(鴨居羊子のランジェリーはダサい)。女性は大概そうだ。血液で言えば血漿。「つなぎ」になった時がもっとも女性性が活きて、周囲からも心底求められる存在になる。自己表現の、その結果を出すには「姫」か「ギャル」の型にはまるしかなくて、品や質感が失われる気がする。

鈴木いづみは、短距離走に適した人だ。だから小説が向かない。アフォリズム的な言葉、彼女の存在自体が興味深いものになっている。パートナーであった阿部薫と冗談を言っているうちに足の小指を包丁で切断、36歳で首吊り自殺。

広田レオナ扮する鈴木いづみと町田康扮する阿部薫の映画「エンドレスワルツ」で彼女を垣間見ることができる。

Kiyoshi Kasai 笠井潔 (1948年11月18日 -  )

Kaoru Kurimoto 栗本薫 (1953年2月13日 - 2009年5月26日/日本)
短編小説集『黴』が印象的。

Hiroshi Mori 森博嗣 (1957年 -  )