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20120110

ラース・フォン・トリアー「メランコリア」

2011年のパルムドールは「ツリー・オブ・ライフ」でしたが、これは当たり前の感覚を冗長な映像で見せられるのが退屈で、途中で劇場を出てしまいました。あとからレビュー読んでも、もう見なくていいかなって感じです。

この年に同時に出品されていたのが、ラース・フォン・トリアーの「メランコリア」(2012年2月日本公開)と、ペドロ・アルモドバル「LA PIEL QUE HABITO」

こっちの2作の方が気になる!

ラースは、ヒトラーに共感するような発言をして、カンヌから追放されてしまったんですよね。あの人なら言いそうだけど……。ひとりがそんなにものごとを動かせ るわけはなくて、ヒトラーの純度の方向性と、バックについたスタッフと、大衆が求める方向性と、それらが不幸な出会いをしたということなのですが、ここまで大事になるには、まあ、映画界の資本を誰が握っているかとか、ヨーロッパ人の精神的健康とか、色々あるのです。


人間として生きるのがつらくなるくらい感受性が強いときや、透明になってしまいたいくらいの気持ちになってるときに観ることが多いです、ラースの映画。そして見事、ラー スの映画と波長が合い過ぎて、誤魔化しだらけのものに喧嘩を売りたくなったり、人間関係を千切っていったりしたくなるので、超危険。「ドッグヴィル」を評価して、「マンダレイ」以降を評価できていないのは、観ていないからです。

久しぶりのラース・フォン・トリアー作品。

「メランコリア」は、巨大な惑星"メランコリア"が時速10万kmのスピードで地球に接近する世界の終末が、JUSTINE(キルスティン・ダンスト)とCLAIRE(シャルロット・ゲーンズブール)姉妹とその家族の日常を通して描かれた映画です。

ネタバレの可能性があるので、読んでも障りのない方だけ反転して下さい ↓


冒頭から大音響のワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をバックに、幻想的に、その後に続く映画を象徴する画像で畳み掛けてきます。

第一部「JUSTINE」と第二部「CLAIRE」の二部構成。物語はジャスティンの結婚式から始まります。物語の進行とともに奇異な行動が重なり、ひと癖もふた癖もある、彼女を取り巻く人たちの言動が続きます。そして第二部へ。

この作品、ラースの観てきた作品のなかでいちばん好きです。(毎回、更新されてる。笑)

冒頭のイメージカットの数々もツボ!

画面の色彩やインテリア、衣装も丁寧に選ばれたのが分かります。

これ意味あるのかな? と思ったシーンが第二部でいきてきたり、ジャスティンが不安定になったときに、クレアの書斎の書籍に飾られていた書籍のページを、ミレイのオフィーリアをはじめとした悲痛なものへと、片っ端から変えていくシーン。

すべてを失い、絶望したからこそ、淡々と今を観察して、生きているジャスティン。地球が終わるということに戸惑い、悲しむクレア(普通の人の反応)。理性で、地球が終わらないというデーターを集めたものの、終わるという事実に耐え切れず早々に自殺するクレアの夫(エリートにありがち)。


捨てカット無しの映画だと思いました。

日本語サイトが出来ていないので、公式サイトを。
メランコリア
TOP画像は、まさにミレイ「オフィーリア」ですね。